2017年03月14日
勧請縄
太平洋戦争以前の昭和の時代まで、今の字(あざ)はムラと呼ばれているところがたくさんありました。人々が共に生活を営む拠点であり、村人はムラの中の「安全」と「清浄」とをひたすら願っていました。
その時代、ムラの外は異界であり、悪霊、災害や疫病は異界からムラへ侵入してくると考えられていました。疫神は、いつも村人が行き来する道から侵入してくると考えた人たちは、村の出入り口に呪物を置いて「悪霊防除」を祈願したのです。塞の神はこうした目的で、ムラの出入り口となる道路に祀られ、呪い物で道を区切りました。こうした風習が今も滋賀県の湖南、湖東地方には「勧請吊り」行事として伝承されているのです。
「老蘇では魔邪羅講(マジャラコ)という行事があって、ムラの出入り口に勧請縄が架かってるよ。」というと、ふるさと学のメンバーは「え~っ、そんなんどこにあんの?気が付かへんなあ。」という返事。それじゃ見に行こう、ということで、今日のふるさと学は老蘇の勧請縄見学になりました。
亀川の信号機を西老蘇に曲がるとすぐに津島さんの小さな祠があります。その脇にあるポールに、ありました、ありました、勧請縄が架かっています。「いっつも車で通ってるけど、全然気が付いてへんわ!」。その足元の植え込みの下を見ると、白い紙に包まれた木が十二本刺さっています。「これ何やろ?」。これは十二光仏の名を書いた斎串なのです。昔は道路を渡して架けていたのですが、両端に架ける大木がなくなったり交通の障害になったりし、てこのようにくるりと巻きあげて片方の木に結わえつけられるようになったようです。
続いて西老蘇の鎌若宮神社に向かいます。参道を進むと、長さ十五メートルほどで縄が架かっていました。、椿の葉を編みこんだ小勧請縄が十二本下がっています。中央には椿の枝葉で作った輪があり、中には「天下泰平、日月清明、五穀成就」と書かれた祈祷札が懸けられています。1月8日、子どもたちがこの祈祷札をめがけて石を投げ、祈祷札が割れると、この願いが叶うといわれています。
勧請縄は東老蘇の外れにも架かっていました。昔は、どこのムラでもこうしたことが行われていたのでしょうが、こうしてしっかりと継承されているところは本当に少なくなりました。ふるさと学では、こんな民俗学的なことも探検しているのですよ。
その時代、ムラの外は異界であり、悪霊、災害や疫病は異界からムラへ侵入してくると考えられていました。疫神は、いつも村人が行き来する道から侵入してくると考えた人たちは、村の出入り口に呪物を置いて「悪霊防除」を祈願したのです。塞の神はこうした目的で、ムラの出入り口となる道路に祀られ、呪い物で道を区切りました。こうした風習が今も滋賀県の湖南、湖東地方には「勧請吊り」行事として伝承されているのです。
「老蘇では魔邪羅講(マジャラコ)という行事があって、ムラの出入り口に勧請縄が架かってるよ。」というと、ふるさと学のメンバーは「え~っ、そんなんどこにあんの?気が付かへんなあ。」という返事。それじゃ見に行こう、ということで、今日のふるさと学は老蘇の勧請縄見学になりました。
亀川の信号機を西老蘇に曲がるとすぐに津島さんの小さな祠があります。その脇にあるポールに、ありました、ありました、勧請縄が架かっています。「いっつも車で通ってるけど、全然気が付いてへんわ!」。その足元の植え込みの下を見ると、白い紙に包まれた木が十二本刺さっています。「これ何やろ?」。これは十二光仏の名を書いた斎串なのです。昔は道路を渡して架けていたのですが、両端に架ける大木がなくなったり交通の障害になったりし、てこのようにくるりと巻きあげて片方の木に結わえつけられるようになったようです。
続いて西老蘇の鎌若宮神社に向かいます。参道を進むと、長さ十五メートルほどで縄が架かっていました。、椿の葉を編みこんだ小勧請縄が十二本下がっています。中央には椿の枝葉で作った輪があり、中には「天下泰平、日月清明、五穀成就」と書かれた祈祷札が懸けられています。1月8日、子どもたちがこの祈祷札をめがけて石を投げ、祈祷札が割れると、この願いが叶うといわれています。
勧請縄は東老蘇の外れにも架かっていました。昔は、どこのムラでもこうしたことが行われていたのでしょうが、こうしてしっかりと継承されているところは本当に少なくなりました。ふるさと学では、こんな民俗学的なことも探検しているのですよ。
Posted by 安土まち協 at 18:15│Comments(0)
│ころっけパパのひとりごと